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                            30歳という節目の年に高知移住を決めた貴志さん。移住を提案したのは、高知出身の妻ではなく貴志さん自身でした。現在はWEBデザインの法人を立ち上げ、幅広い仕事にチャレンジする貴志さんにお話を聞きました。 貴志 諭里さん 出身地:和歌山県 現住所:いの町 移住年:2022年 職業:合同会社KISHI WEB & DESIGN 高知移住のきっかけは? もともとは出身の和歌山で教員をしていました。特別支援学校高等部の教員だったのですが、仕事は激務。そんな中、学生時代に知り合った高知出身の妻と29歳のときに結婚。教員として7年間の勤務を経て“やり切った感”があったこと、ちょうど30歳になる節目の年だったこともあり、今後について考えるようになりました。 それまで高知には旅行で2回行ったことがある程度でしたが、妻の親戚が集まって、缶ビール片手に15人くらいでワイワイと宴会(おきゃく)をする様子がまさに映画『サマーウォーズ』のようでドストライクだったんです。人の良さにも惹かれ、自分から「高知に住みたい」と提案しました。 【いの町の本川地域を選んだ理由は?】 妻が高知市出身ということもあって、最初は高知市内で検討していました。仕事をどうしようか、住む場所は高知市がいいのかなどいろいろと決めかねており、“本当に移住して良いか”の気持ちを確かめるために改めて高知を訪問。高知県UIターンサポートセンターにも相談しました。そんなとき、いの町本川に住んでいる妻の祖父から「移住するなら、地域おこし協力隊という手もある」と聞いたんです。募集ミッションは「本川手箱きじの生産と販路拡大、商品開発」。ちょうど応募〆切のタイミングだったこともあり、すぐに応募しました。 住まいは役場の職員に紹介してもらったのですが、最初に内見した家は正直住みたいとは思えず……。その後、川の目の前にある今の家を紹介してもらい、ここなら!と決めました。納得のいく住まいが見つからなければ、協力隊という選択肢は断念していたかもしれません。   
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                            移住してからの仕事を教えてください。 協力隊としての仕事は、きじを育てるところから始まり、解体、精肉、販売、商談会への参加など、きじに関わることすべて。本川手箱きじ生産企業組合の方々と一緒になって取り組みました。協力隊の仕事は週4日なので、残りの3日は自由。その時間を使って、1年目の冬には狩猟免許を取得して狩猟を始めたり、もともと趣味で制作していたWEBページを見た知人からデザインの仕事の依頼が舞い込んだりと、少しずつ兼業の幅が広がっていきました(いの町では、休暇日であれば副業可)。今はWEBデザインの仕事をなりわいとしていますが、県内での仕事に繋がったのは、いの町から依頼を受けた「仁淀川まつり」のチラシ作成の仕事がきっかけでした。 そんな風にして少しずつ忙しくなり…… ------------ 気になる続きは、高知県移住ポータルサイト「高知家で暮らす。」に掲載中! ぜひ「詳細はこちら」のURLからお読みください♪   
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