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くさやの秘訣は、300年伝承される「くさや液」
その昔、離島ならではの環境下で、島民が知恵と工夫を凝らす中で偶然生まれたのが、伊豆諸島の代表的な郷土料理である発酵食品「くさや」 そんな「くさや」のルーツを探るべく、新島と八丈島を訪ねた。 国内で生産されるくさやの大半が新島産だ。新島のくさや製造の拠点とされているのが、くさやの加工施設及び物流センターである「くさやの里」だ。生産者の1人、池太商店の代表、池村遼太さんがくさやの製造工程やその歴史を教えてくれた。 新島でくさやづくりが産業として始まったのは、江戸時代といわれている。魚食文化の島では、冬の間は風が強く漁に出られないことから、夏に大量に獲ったアオムロアジを塩水に浸し、天日で干して保存食とする風習があった。 当時、塩は幕府に上納する年貢代わりであり、島で最も貴重な資源だったため、一度使った塩水を捨てずに繰り返し水と塩を継ぎ足しながら使い続ける必要があったという。 同じ塩水を使って魚を漬け込んでいくと、次第に、魚の菌やエキスが塩水に馴染み熟成されていき、出来上がった干物の旨みと風味が増していくことを発見。こうしてくさやが生まれたというのだ。その塩水はやがて「くさや液」として、新島の各生産者や各家庭に伝承され、それぞれ使用され続けて、現在に至るそうだ。 「うちのくさや液も起源は300年以上前で、それをずっとアップデートしながら使っています。生産者ごとに使い方や保存方法が異なるので、菌の量や塩分量も変わって、それぞれのくさや液に個性があるのです」。 池村さんは、祖父の代から続く3代目。高齢化が進む島のくさや生産者の中では30代と一番の若手だが、海外での販路拡大に向け積極的に準備を進めるなど、強い信念を抱きながら日々くさやづくりと向き合っている。
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ユニークなアイデアでくさやを発信する
くさやの魅力をより多くの人に伝えるために、様々なアイデアで活動する新しい後継者も生まれている。 八丈島のくさや生産者の1人である藍ケ江水産の加藤幸さん。静岡県沼津市出身の加藤さんが八丈島に移住してきたのは23歳の時。建設現場や飲食店で働いているさなか、ひょんなことからくさやに出会い、その魅力にのめり込むうちに、自らくさやを生産販売する目標を抱くようになったという。 「地元のお母さんたちからくさやを振る舞われることがよくありました。初めて食べた時は臭いが強烈で苦手だったのですが、何度か食べているうちに、あれ?臭いの先に旨みがあるぞ、と気付いて、これはすごい可能性を秘めた食べ物なんじゃないかと考えるようになったんです」 加藤さんはくさやの製造だけにとどまらず、くさやの美味しさや楽しみ方をできるだけ多くの人に提案したいと、八丈島の工房にユニークなくさや料理を提供する食堂を併設したり、都内に日本で初となるくさや専門バーをつくるなど、様々なアプローチでくさやの魅力を発信し続けている。 「ピザやアヒージョなど、新しい食べ方でくさやを提案することで抵抗が和らぐかなと思っています」と、加藤さんは語る。 その昔、必要に迫られ、塩を節約するために同じ塩水を使い回すことで、偶然に生まれた発酵食品、くさや。食す機会があれば、ぜひ島の歴史が詰まった旨みを噛みしめて欲しい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 🌟詳細はSHUN GATEで読むことが出来ます ▶SHUN GATE https://shun-gate.com/roots/roots_102/ ▶池太商店 東京都新島村本村6-3-3 http://iketa.com/ ▶藍ヶ江水産 地魚干物食堂 東京都八丈町大賀郷2333 http://across.co.jp/aigaesuisan/
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